先史時代

先史時代とは有史時代以前の歴史区分に当たり、文字を使用する前の人類の歴史にあたる。その先史時代について概要ですが、簡単に説明しています。

金属以前の技術 - 農耕の開始

発祥から先史時代前半までの人類は、生存能力に劣り常に滅亡の可能性に晒されていた。火を使い加工する手段を得てはいたが、食糧は多くの植物性およびわずかな動物性食物に頼り、常に飢餓の危険にさらされながら、より住みやすい土地を求めて移動を繰り返していた[28]。そのため、集団の信仰や習俗には多産を祈念し推奨する要素が多く生じ、またジェンダーの観念も生殖に重きが置かれていた。この停滞状態を脱し、人口が増加に転じた主たる理由は、農耕や牧畜など食糧生産手段の変革[20]があった。[29]
先史時代の研究家ヴィア・ゴードン・チャイルド(en)が提示した「新石器革命」(農耕革命)の概念によると、紀元前1万年から紀元前8000年頃にシュメールで農耕が始まり、紀元前9500年から紀元前7000年頃にはインドやペルーでもこれと独立に行われ始めたという。さらに紀元前6000年頃にはエジプト、紀元前5000年頃には中国、そして紀元前2700年頃にはメソアメリカで農耕は広まった。
中東の肥沃な三日月地帯が重視されがちだが、複数の作物や家畜を育成する農耕システムは考古学的分析からアメリカ州や東アジア・東南アジアでもほぼ同時期か若干早く発生していた。シュメールでは紀元前5500年頃には組織化された灌漑や専従労働(en)も始まっていた。それまで集落が依存していた岩石を用いた石器は青銅器や鉄器に取って代わられ、これら新しい道具は農作業のみならず戦争にも使われるようになった。ユーラシア大陸では銅や青銅の道具が発達し、紀元前3000年頃に地中海沿岸東部で発明された製鉄技術は中東を経由して中国まで伝わり、農具や武器へ利用された。
アメリカ大陸では金属器の発展は遅く、紀元前900年頃のチャビン文化(en)勃興を待たねばならなかった。モチェ文化では金属は武具やナイフ・器などに用いられ、金属資源に乏しいインカ文明(en)でも、チムー王国に征服された頃までには金属片をつけた鋤が実用化されていた。しかしその一方で、ペルーでは考古学的調査の進捗は限定的であり、古来の記録媒体であったキープはスペインのインカ帝国征服(en)によってほとんどが焼却されてしまい、資料に乏しい。ほとんどの都市遺産は未だ発掘されていない。
メソポタミアユーフラテス川チグリス川、エジプトのナイル川インド亜大陸インダス川、中国の黄河や長江のように文明の揺りかごは川や谷が担った。一方、オーストラリアのアボリジニ南アフリカのサン人にような遊牧的な民族は、農耕を自文化に取り入れた時期は比較的近年になってからのことである。
農耕はその作業において分業を促進し、そこから複雑な社会構造とも言える文明を作り[30]、国家や市場を形成した。技術は自然を利用する術を授け、交通や通信手段を発達させた。

 

参照元ウィキペディア先史時代